サー・ジョン(Sir John)の愛称で知られるジョン・バルビローリ。彼の指揮した音楽について、その叙情性や暖かさ、弦楽器の瑞々しい歌などが指摘されますがもっともなことと思います。高音域・低音域が強調されすぎず中音域が伸びやかで、旋律は全体的にバランスよくきちんと聴こえ、音楽は自然に流れます。目立った個性や癖がないせいか熱狂的な指示はあまりないのですが、マーラーの交響曲を弾いてもややこしい深刻な世界とならず、大変ヒューマンでどこか親しみ易い音楽と聞こえることなど、バルビローリのユニークさと言って良いでしょう。
バルビローリの祖父アントニオと父親ロレンツォは、ミラノ・スカラ座でヴァイオリン奏者をしていたイタリア人、母ルイーズはフランス人でした。バルビローリ自身初めはヴァイオリンを習っておりましたが、幼い頃にはチェロへと持ち替え、10代になるとまずはトリニティ音楽大学、次に、王立音楽アカデミーにて勉強を進めます。1916年の卒業後、プロのキャリアもまずはチェロ奏者として始めました。ヘンリー・ウッド率いるクイーンズ・ホール管弦楽団のメンバーとなり、翌1917年にはロンドンでソリストとしてのデビューも果たします。
第一次大戦末期に従軍し、そこでボランティアのオーケストラを指揮した経験がキャリア転換につながったようです。戦後しばらくはオーケストラの楽団員として、また一時弦楽四重奏団の一員として活動していましたが、ついに1924年、自ら室内楽団を組織して、その指揮台に立ちました。
数年を経る内に評判が高まり、英国国立オペラ・カンパニーやコヴェント・ガーデン・オペラ・カンパニーに客演し、歌劇の経験も数多く積むこととなりました。ロンドン交響楽団(LSO)やスコティッシュ・オーケストラ他で、コンサート指揮者としての活躍の場も増加。国際的にも評判が高まり、1937年にはニューヨーク・フィルハーモニックの主席指揮者に就任。前任者トスカニーニと比較される随分難しい立場ながら、故国イギリスやアメリカの現代曲を多く取り上げたそうです。
第二次世界大戦が激化した1942年、苦難の故国を思い煩うバルビローリは危険を顧みず大西洋を渡って、帰国。数ヶ月故郷イギリスで客演旅行を行いました。ニューヨークに戻っても故郷に未練の残るバルビローリを困らせたのは、ニューヨーク・フィルとの契約更改の条件。アメリカの市民権取得が要求されておりました。渡りに船と言っては出来過ぎですが、この頃、丁度マンチェスターのハレ管弦楽団から主任指揮者就任の打診あり。故国に帰る機会とバルビローリは、ハレ管弦楽団の要請を受けて1943年の半ばに帰国致します。
ハレ管弦楽団は英国でももっとも古い歴史を持つオーケストラですが、この頃、財政難に加えて、国営放送BBCの専属オーケストラの発足に伴った引き抜きにあって大変な状況でした。6月頭に就任したものの、楽団のメンバーは方々のパートで欠員だらけ。一ヶ月後の初コンサートでは、教師、学生、ブラスバンドのメンバーと急遽演奏者を集って乗り切ったそうです。このハレ管弦楽団との関係は晩年の1968年まで続く長いものとなり、バルビローリは同楽団から終身桂冠指揮者の地位を贈られています。
大戦後は再び国際舞台での活躍が増え、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの定期公演、そして、ザルツブルグ音楽祭への客演も果たしました。1960年代にはストコフスキーの後をついでアメリカのヒューストン交響楽団のポストも掛け持ちしています。
バルビローリが没したのは1970年、フィルハーモニア管弦楽団を率いての日本ツアー直前の逝去。
バルビローリの逸話としてイギリスの名チェリスト ジャクリーヌ・デュ・プレ審査の出来事がよく知られています。奨学金の審査試験でまだ幼いジャクリーヌの演奏を聴いて「これだ!」と一言。さすがは元チェロ奏者だけあってピンと来たそうです。
バルビローリのレパートリーも広いものですが一番にマーラーの交響曲を推薦する方が多いのでは? ここに挙げたマーラー交響曲第9番では、ゆるやかなテンポを守り、他に例を見ないほど自然にマーラーを響かせます。どの旋律も、不協和音もおろそかにされずに、充足した音の世界を聴かせます。同じくマーラーでは第6番の録音も挙げてみました。壮大な音作りが、バルビローリとしては、ちょっと意外な処では。
その叙情性に定評があるバルビローリは、ブラームスやシベリウスの演奏でも多くのファンを掴んでいます。ブラームスの交響曲が現在手に入りにくいのが大変残念なこと。母国英国の作曲家の録音も数多くございます。泣く泣く絞って、L4W PickUp!では、エルガーの管弦楽曲集Boxセットを代表と致しました。
他にもBBC管弦楽団とのマーラーの交響曲第3番やディーリアスの管弦楽曲集他名高い録音は数多くありますし、晩年のデュ・プレとの録音も名盤として忘れ難いもの。協奏曲のジャンルでは、1930年前後にクライスラーやハイフェッツら著名なソリストと共演した録音が数多くございます。ぜひLook4Wieck.comのAmazon.co.jp検索頁をご活用の上、いろいろ探してみてください!
The Barbirolli Societyのwebsite:
1972年より続いているイギリスのバルビローリ協会のwebsiteです。略歴情報およびこの協会が主導してリリースに至ったCDのディスコグラフィー情報が手に入ります。
Remembering Sir John and others. in Music&Vision Magazine:
イギリスのMusic&Visionというwebsiteにあるレポート。2004年にバルビローリ夫人のイヴリンを訪問インタヴューしています。夫人は元LSO(ロンドン交響楽団)のオーボエ奏者。自らの経歴・音楽観を中心に、夫人が現役時代のイギリスの音楽事情・演奏家事情、夫ジョンとの生活等、様々なことが語られています。
ジョン・バルビローリ 〜 山崎与次兵衛のちょっとクラシック:
ファン・サイト。バルビローリのディスコグラフィーおよび数多くの録音の感想あり。わたしはここまでバルビローリを追いかけていませんが、持っている録音から判断する限り、その感想の軸がぶれていないので、異見のある方でも参考にしやすいと思います。
「バルビローリ節」道場 in フルトヴェングラー鑑賞記:
こちらもファン・サイトです。バルビローリの録音レビューがありますが、数を絞っているので、いまから聴き始めようという方にはかえって取っ掛かり易いやも。