哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)は、ウィーンの鉄鋼王の末子として生まれました。
そのサロンには、さまざまな芸術家が顔を見せ、音楽家で挙げれば、ブラームス、クララ・シューマン、若き日の指揮者ブルーノ・ワルターなどの姿もあったそうです。
そのような環境であっただけに、その家庭にも音楽にあふれていたことは勿論、音楽の才能を開花させた兄弟もありました。
ルートヴィッヒのすぐ上の兄パウルはピアニスト。
パウルは、第一次大戦で左手を失いましたが、その困難も乗り越えて活動を続け、ラヴェルから『左手のためのピアノ協奏曲』を贈られたことはよく知られています。
アメリカはNorthwestern University Symphony Orchestraが、自前のYouTubeチャンネルを作成して挙げている映像がありました。
しかしながら、ヴィトゲンシュタイン兄弟の中で、もっとも、音楽の才能にめぐまれていたのは、長兄のハンスだったようです。
幼い頃から、ピアノとヴァイオリンを弾き、4歳で作曲をはじめましたが、父が企業家として跡目を継ぐよう強要。それに耐え切れず、アメリカに一人旅立ち、若くして、とあるボート乗船中に行方不明となりました。これは自殺と考えられています。
この長兄に関しては、ルートヴィヒに強く刻まれた思い出があります。
幼い頃、深夜の3時にピアノの音で目が覚め、階下に下りると、兄ハンスは一心不乱に自作曲を弾いており、ルートヴィヒがいることには全く気づかない。その異様なまでに集中した姿に、天才とはかくあるものというイメージを持ったそうです。
ルートヴィヒは、イギリスのケンブリッジに居たラッセルの元に留学しましたが、その熱中振りは凄まじく、また、ラッセルに「自分には、哲学の才能が本当にあるか?」と真剣に問うたこともありました。
音楽が兄ハンスにそうであったように、哲学は自分に対してそうであるか?そんなことを考えていたのかも知れません。
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ルートヴィヒ自身は、もっぱら口笛ばかりで、30代に小学校教師になってから、クラリネットをはじめました。
しかし、音楽について様々に考え、その哲学にインスピレーションを得ることは若年から、晩年まで、多々あったようです。遺されたメモを集めた『反哲学的断章』にも、様々な音楽家とその音楽への言及が見られます。
これについては、また、いずれかの機会にご紹介するとして、本日は、レイ・モンクの伝記に見つけた面白いエピソードを一つ。
ケンブリッジ留学中、友人とコンサートに行ったルートヴィヒ。
曲目は、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》、R.シュトラウスの《サロメ》から、ベートーヴェンの交響曲第七番に、バッハのモテット。
これをすべてきくかと思いきや、ルートヴィッヒは、ブラームスは楽しんだものの、《サロメ》など聴くまい!と休憩から戻るのを拒み、ベートーヴェンは聴きに戻って曲が終わるとさっさと帰ってしまったそうです。
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さて、CDのご紹介ですが、まずはラヴェルの《左手のためのピアノ協奏曲ニ長調》。やはり酔いどれで異才のピアニスト サンソン・フランソワの録音が面白いものと思います。
Debussy, Ravel: Piano Works [Box set]
Samson Francois(Pf)
A.Cluytens(Cond)/パリ音楽院オーケストラ
・輸入盤
これはフランソワのドビュッシーとラヴェルの録音を集めた6枚セット。
ラヴェルのト長調のピアノ協奏曲も、同じくクリュイタンスが指揮するパリ音楽院オーケストラが伴奏。そこでの、フランソワの弾きっぷりたるや、唖然ともなれば、自然に笑いがでてきたりと、稀代の名録音であるのは疑いありません。
協奏曲に限らず、ドビュッシー、ラヴェルともども独奏曲も含めて、名曲・名録音ぞろいのセットは、まだお聴きになってない場合は、強く!お奨めいたします。
もう一曲のご紹介はブラームス《ドイツ・レクイエム》で。
ウィトゲンシュタインの好みに合うのかはわかりませんが、シュヴァルツコップとフィッシャー=ディースカウが歌唱をつとめ、クレンペラーの指揮が重厚な音楽を作るこちらの録音を挙げたいと思います。
Brahms: Ein Deutsches Requiem
Otto Klemperer(Cond)/Philharmonia Orchestra and Chorus E.Schwarzkopf(Soprano) D.Fischer-Dieskau (Baritone)
・輸入盤
ではまた。拙文がみなさまのお役に立てば幸いです。
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