『バルカン超特急』は、ヒッチコックのイギリス時代の最高傑作と言われる作品。実際、英国時代や白黒時代に限らず、ヒッチコックの全作品の中でも、傑作に数えて良いものだと思います。
舞台は、中欧の小国バンドリカという架空の国。
原題は、The Lady Vanishes ですが、タイトル通り、英国の老婦人がバンドリカから西へ向かう車中で消えてしまいます。その女性と同席していたヒロインのアイリスが、彼女を捜そうと一人奮闘するものの、車中の誰もが示し合わせたかのように、元よりそんな婦人は居なかったと証言。
ここまでの導入部にしろ、ここからの展開にしろ、様々などんでん返しがあって実に傑作です。まだご覧になってない方は是非にとお薦め致します!会話がほんとうに洒落ていて、英国ジョークも利いています。私も何度見たかという程ですが、毎回吹き出してしまいます。
*****
この映画では、音楽が ”小物” として、大きな役割を担います。
消えてしまった婦人 フロイ は、バンドリカで家庭教師として音楽を教えており、数年の滞在を終えて帰国するところでした。アイリスを助けるヒーロー(?)のギルバートは、中東欧をまわって民族舞踊を集める音楽学者。バルトークやコダーイのイギリス版といったところでしょうか?
この人物設定が、ちょっとした会話のスパイスに留まらず、ストーリーが進むにつれて、みごとに活かされるのは、さすが!ヒッチコックです。
ヒッチコック・ファンの方には有名な著作ですが、フランソワ・トリュフォーがインタビュアーとなり、ヒッチコック自ら全作品を解説する『定本 映画術』を、併せてご覧になられると、さまざまに発見があると思います。制作者側の秘密がいろいろと明かされて、興味がつきない書物です。
*****
さて、今回の映画音楽ですが、「内容からして、確かクラシック音楽が・・・」と確認したところ、実際は全てオリジナル曲でした。
しかし、あまりに面白い作品で、記事を書かずに済ますのも忍びがたく、ちょっと(?)強引ですが、主人公ギルバートからの連想という理由をつけて、本日は、ベラ・バルトークの民謡採集に関連してご紹介しようと思います。
ちなみに上の映像は、旅先の街角ヴァイオリニストが弾くバルトークの曲を収めたとのこと。
バルトークがコダーイと連れ立って、ハンガリーの民謡採集を始めたのは、1900年代半ば。歳で言えば、20代半ばのことです。次第に採集の地域は拡大し、最晩年でも亡命先のアメリカで記録の編纂に尽力しております。
大雑把に考えて、最初期の作品を除けば、バルトークの音楽にはほとんど何かしら中・東欧のリズムや音階の影響があると言えましょう。しかし、その中でも、比較的民謡が生の形で出ているものとしては、やはりピアノ曲集が良いと思います。
Bartok: Complete Solo Piano Music
György Sándor
・輸入盤
Zoltán Kocsis plays Bartók
Zoltán Kocsis, Márta Lukin, Karoly Mocsári
・輸入盤
前者は、バルトークやコダーイの弟子でもあったシャーンドルの録音。1960年代製作で、ちょっと古いものです。後者は、現代ハンガリーのピアニスト コチシュのもの。どちらも網羅的なセットで、ミクロコスモスなども全曲収録。ピアノを習う方には、便利なこともあるかと思います(とは言え、どちらも譜面通りというわけでもないのはご注意!)。
録音の良し悪し、ピアノの技術の巧拙で選ぶなら後者なのでしょうか。コチシュの方がいろいろ手を替え品を替えで、シャーンドルの方があっさりしています。といってシャーンドルもなんといいますか西洋風に奇麗に弾いているのがちょっと物足りないかも知れません。
シャーンドルは、バルトークと同じくアメリカに亡命。あの美しいピアノ協奏曲第3番の初演も行った人物です。ピアノ教師としても活動し、弟子の中には、例えばエレーヌ・グリモー Hélène Grimaud が挙げらるそうです。
1〜2枚ものですと、他にもいろいろ見つかります。
ちょっと洗練され過ぎにも思いますが、フランスのミシェル・ベロフの録音。それに何と言ってもバルトーク自らの演奏。
Bartók: Piano Music
Michel Béroff
・輸入盤
Bartók plays Bartók
Béla Bartók (Piano), Ditta Bartók Pásztory (Piano)
・輸入盤
Kodaly: Hungarian Folk Music; Bartok: Hungarian Folksongs Sz64
Béla Bartók, Vilma Medgyaszay他
・輸入盤
バルトークの別の弟子のアンドール・フォルデス Andor Foldes の録音も悪くないのですが、今は廃盤のようで残念です。
バルトーク、フォルデス、もっと最近で言うと、ラーンキなどは、割と部分部分でインテンポの素朴と言えば素朴な演奏。これは結構重要なことかと思います。マーチのような機械的なリズム、いかにも民族調の素朴さ、または人の音楽ではなくて、自然そのものといった音は、あまりにも心情を盛り込んだ演奏をすると出てこないような気が致します。
どっちがいいとまでは言わないのですが、コチシュやベロフから聴き始めた時、バルトーク本人の演奏を聴いてみるのは重要かと思います。さっぱりした音楽となっていることは、バルトークの技術的な問題ではないと考えています。
*****
最後になりますが、バルトークとコダーイの民謡採集の社会的政治的背景を綴った好著がありますので、併せてご紹介致します!
バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家
伊東 信宏 著
中公新書