情熱溢れる演奏がこの上ない魅力のジネット・ヌヴー。死後何十年と過ぎた今でも、世界の愛好家を魅了している存在の一人です。彼女の作る音楽には、張り詰めた緊張感があり、明るく広がるというよりは、空間を斬り開くかのようです。
ヌヴーは1919年のパリ生まれ。最初の教師はヴァイオリニストの母でした。早熟な才能で、7歳でブルッフのヴァイオリン協奏曲1番のコンサートを開いたそうです。ベルギー出身の名ヴァイオリニスト・作曲家のジョルジュ・エネスコに学んでから、パリ音楽院に入学。1年も経たずに首席で卒業した時は、まだ11歳でした。この時、ナディア・ブーランジェに作曲を学んでいます。
ウィーンの国際コンクールで4位の成績を取ると、4年間カール・フレッシュの下で研鑽を積みました。フレッシュは、ユダヤ系にしてドイツ系ハンガリー人。近代ヴァイオリン教育に大きな影響を与えたと人物で、教え子には、
ヌヴーの他、ヨーゼフ・ヴォルフシュタール、マックス・ロスタル、シモン・ゴールドベルク、イーダ・ヘンデル、ヘンリック・シェリング、イヴリー・ギトリスと錚々たる名演奏家が名を連ねます。
1935年には、ポーランドのワルシャワで行われた第一回のヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに参加。当時27歳だったロシアのダヴィッド・オイストラフを二位において優勝の快挙を遂げました。オイストラフは、コンクールでのヌヴーの演奏を賛嘆して、「悪魔のような才能」と妻に手紙を書いています。ヌヴーはヌヴーで、帰郷後、オイストラフの素晴らしさについて皆に伝えたそうです。余談ながら、この大会では、ポーランド出身のイーダ・ヘンデルも7歳で出場。ファイナリストとなり、7位に入選しております。
1937年に、最初のリサイタルをニューヨークで開催。本格的な公演活動に入った矢先に第二次大戦が始まりました。この間、ナチスの支配地域での演奏をかたくなに拒み、練習と作曲に取り組んでいたそうです。戦後は、戦前同様、太平洋を挟んで、ヨーロッパと南北アメリカで活躍しました。
1949年の10月、彼女に早すぎる死が訪れます。北米への演奏旅行の途上、アゾレス諸島で飛行機事故に遭難。ピアニストの弟ジャン=ポールと共に、30歳の若さで世を去りました。
ヌヴーのCDで最初の推薦となると、やはりブラームスのヴァイオリン協奏曲でしょうか?死の前年にイッセルシュテットと共演したものが録音状態も良く名盤とされています。Philipsから日本盤が出ています。その輸入盤は長らく手に入りにくかったのですが、2006年、Documentsから発売された3枚組CDに収録され、今は簡単です。この3枚組は、価格的にも内容的にも、ヌヴー入門に大変お奨め!ブラームス、シベリウスらの協奏曲の他、ラヴェルの≪ツィガーヌ≫などの小曲も入っています。
このブラームスの協奏曲は他にも録音があって、私はそちらも全然悪くないと思います。音質が悪くともDbrowenとのEMI盤の激しい表現は好きですし、一番好みなのはTahraの三枚組≪Tribute to Ginette Neveu≫に収められたデゾルミエールとの共演(但し、この三枚組なかなか手に入らないのが残念です)。むしろイッセルシュテット盤はオーケストラが牧歌的に弾いていて、ちょっと合ってないかなと思っております。
ヌヴーの名盤は、近年、様々なレーベルから同じ演奏が重複されて出ていますので、ご検討の際は収録曲や共演者をご確認して重複のないようにお気をつけください。
ブルーノ・モンサンジョン製作のドキュメント『アート・オブ・ヴァイオリン』に彼女の演奏会の模様が収められています。ほんのわずかの映像ながら、指揮者を見やる目の真剣さが大変印象的です。このDVDは他にも様々な貴重な映像が収められ大変面白い作品なので、ぜひご覧になられんことを。
とらもくせいじん ー ジネット・ヌヴー特集:
ヌヴーの大ファンで、ヴァイオリン製作を学ばれている方のwebsite。詳細な経歴、マイナー・レーベルも含めて、さまざまな録音が紹介されています。