20世紀の大ヴァイオリニストとして、没後もその名声が色あせないオイストラフ。
実演に接せずとも、そのブラームスの協奏曲の馥郁たる音を聞いてファンになった方など多いと思います。ヴァイオリニストも年齢によって、音が微妙に変わるもので、数々の録音でもトーンは微妙にちがうのですが、やはり、あの濃厚な音が思い出されます。
オイストラフは、ロシア帝政末期の1908年、オデッサに生まれました。幼少時からヴァイオリンとヴィオラを手にし、地元の音楽演劇学校でストリアルスキー(Stolyarsky)に師事しています。余談ながら、アメリカに亡命したナタン・ミルシテインも同門。調べると、オデッサ生まれの演奏家は、結構多いものです。
1924年、在学中にリサイタルデビューし、その二年後にはモスクワに移り、同地を根拠に様々な街で公演活動を行ったそうです。国内での評価は次第に高まり、1930年代半ばには、モスクワとレニングラードのコンクールで優勝、国外のコンクールにも参加して、1935年のワルシャワでは2位(この時の1位はジネット・ヌヴー)、1937年にはブリュッセルのイザイ・コンクールで優勝を修めました。
その名が本格的に国際的に知れ渡るのは第二次大戦後のことのようです。1946年にはプラハに、そして、1951年にはイタリアに公演。西側諸国でもオイストラフを望む声が強くなり、イギリス、フランス、ドイツ、日本、北米と世界各地にその舞台を広げていきました。
オイストラフは、同時代のロシアの作曲家との交流も深く、ミヤスコフスキー(Nikorai Miaskovsky)、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン等から、曲の献呈を受け、初演も多くこなしています。
レパートリーは、バロックから現代曲まで幅広いのですが、中でもドイツ・オーストリアのロマン派、そして、母国ロシアの作品に評価が高いと言えましょうか。低音が豊かで濃厚な音色、そして、のびやかで叙情溢れる表現が最大の魅力と思います。
演奏活動以外でもモスクワ音楽院の教職に長く献身。大成した教え子には、ギドン・クレーメルが数えられます。息子のイーゴリもヴァイオリニストとなりました。
晩年、指揮活動に取り組みましたが、1974年、客演指揮に訪れていたアムステルダムで各死。
虚飾のない真摯な人柄だったそうで、これについては、同じロシアのピアニスト リヒテル他の様々な共演者の言葉をところどころで目にします。
2008年12月24日注:EMIから、17枚組のオイストラフEMI録音全集がリリースされて居ります。内容的にも、価格的にも、オイストラフの全貌を知るに大変良いセット。
詳細曲目等々について、記事を一つ挙げて居りますので、ぜひご覧下さい。
オイストラフの録音は未だ多数リリースされていますが、最初の一枚にはクレンペラーと共演したブラームスの協奏曲をお薦めしたいです!その次には、チャイコフスキーやハチャトゥリアン他ロシアの作品でしょうか。
CDでなくても良いならば、ブルーノ・モンサンジョン製作のドキュメント『太陽への窓』DVDが、オイストラフ入門として最適。伝記的知識も入りますし、次に何を聴くか見当もつけられます。書籍には、息子のイゴールが綴った写真も多い伝記などもあるのですが、残念ながらただいま現在絶版中です。
フランスのオイストラフ協会のwebsite:
英語頁がいまだ工事中なのが残念。詳細な伝記、写真は勿論、愛用のヴァイオリンや指揮活動まで情報は充実しています。
Music&Vision websiteのイゴール・オイストラフ・インタビュー:
息子イゴールの半生記ですが、ところどころ父ダヴィッドとのやり取りが出てきて、興味深いものです。当時のロシア音楽家状況なども知れます。イゴールもやはりストリヤルスキーの門下だったのですね。
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