今回ご紹介する『私が独裁者?モーツァルトこそ!―チェリビダッケ音楽語録』は名指揮者チェリビダッケの発言集。シュテファン・ピーンドルとトーマス・オットーというお二方が編んだもの。これが傑作な内容で、放言集といいたいくらいのチェリビダッケらしい言葉ばかり!苦笑、爆笑、疑問、反論、すっかり納得・・・とこちらの応答もさまざまに、読み出すと止まらない大変面白い本です。
チェリビダッケはルーマニア出身の指揮者。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに私淑し、ベルリン・フィルの常任指揮者の候補に挙げられながらもカラヤンに破れ、、、この話には様々な書籍に様々な説明があるのですが、楽団内の政治的な争いばかりでなく、当時の実力もあったのでしょう。
いずれにせよ、その後のチェリビダッケは、イタリアや北欧に席を得ながらも半ば放浪の身。しかし、各地に招かれて名演を残し、次第に評価が高まっていきます。その名がメジャーとなったのは、何と言ってもその晩年、伝統あるミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に選ばれてからのことでしょう。この時の録音が正規盤録音の大変を占めるのですが、その荘厳ながら重々しくない響き、ゆったりと、しかし、きちんと表情付けられて変化をしていく旋律は、チェリビダッケの他には聴けない素晴らしさに溢れています。
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ちなみに本稿にのせた映像は、チェリビダッケのドキュメントを制作したPARSMEDIA.comが紹介用にYouTubeに載せているものです。
2009年4月6日注:記事でご紹介しているチェリビダッケの映像が、DVD化されました!
輸入盤DVD Celibidache: You Don’t Do Anything You Let It。
チェリビダッケによるリハーサル風景とインタビューを主たる内容とした100分ほどの作品。この短いポロモーション映像でも、興味深い内容であることは十分に伺えると思います。
輸入盤ゆえ、英語字幕で楽しむ方が多くなると思いますが、字幕であれば止めてゆっくり読むこともできますので、ぜひお手元に!
さて、このチェリビダッケの発言集ないしは放言集。どんな言葉が収められているか?まえがきとその後の簡単な経歴紹介の後を目次で、ご紹介致しますと。
第一章 音楽について…p.21/ 第二章 指揮について…p.27 / 第三章 フルトヴェングラーについて…p.35 / 第四章 同僚について…p.41 / 第五章 チェリについて同僚が語る…p.53 / 第六章 演奏について…P.59 / 第七章 ソリストと歌手について…p.67 / 第八章 作曲家について…p.75 / 第九章 ブルックナーについて…p.85 / 第十章 よもやま話…p.93 / 第十一章 教育について…p.99 / 第十二章 オーケストラについて…p.103 / 第十三章 聴衆について…p.113第十四章 批評家について…p.117 / 第十五章 神と宗教について…p.121 / 第十六章 レコードについて…p.127 / 第十七章 自分自身について…p.131
・・・という具合。章立ては短いですが、内容は実に多岐に亘ります。
では、チェリビダッケがどんな言葉を放ったか?価値観をよく表しているものとして、例えば、
あなたが音楽で美しいものを体験しようとしても無理なのである。音楽では真実が問題なのだ。美は疑似餌にすぎない
テンポについては、
音楽に接して長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱けば、その人は音楽のなかに入っていない。音楽はその意味で長い短いの問題ではない
フルトヴェングラーはどんなテンポでも、間違ったテンポでさえ、納得させることのできた唯一の指揮者である
他にも、テンポについては幾つも言葉が出て来ます。
同僚に対しては、褒め言葉もあるのですが、概して口が悪いのです!!
(ピエール・ブーレーズについて)リズムが機械的なものの作動と理解すれば、それがブーレーズだ
(カラヤンについて)わたしは彼のなしたことの全部は評価しない。彼にはエゴがありすぎる。そんなエゴが働くときには彼の自由な精神はひどく濁ったものになりやすい。
(カルロス・クライバーについて)彼はわたしにとって我慢のならない指揮者だ。彼の気違いじみたテンポでは音楽的な体験などできはしない。
もっとひどいものもあって、これが笑ってしまうのですが、ぜひ本書でお確かめを。。。
この最後にやり玉に挙げられているカルロス・クライバーが実はチェリビダッケのファンだったそうで、あまりに暴言が多いのをこらしめ半分、ふざけ半分になした投書が嬉しいことに全文載っております。
こんな調子で寸言がずらずらずらと並び、こちらは笑ったり、「えっ!」となったり、「う〜ん」と唸らされたり。いずれにせよ、怒ってしまったら詰まらない本で、そこはこちらの度量が試されて居りましょうか!?
偏屈だけど心根のあったかい人なんだろうなぁ・・・お粗末ながら一言で言うと、これが私の感想です。
本書の中の過激な発言だけでなく、誉め言葉や、回想の言葉を読めば、誰しもそう感じるのではないかと思います。
チェリビダッケの価値観も人柄もよく示すこの短い書籍、ぜひご一読を!
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この機会にチェリビダッケが残した録音についてご紹介致しましょう。
最晩年のEMI正規盤がやはり中心になるかと思いますが、最近はさまざまなレーベルからのリリースが増えています。録音嫌いのチェリビダッケですが、録音であってもその名演が聴けることは幸いです。私もとある一枚(ミュンヘン・フィルとのブルックナーの第6番でした)で、すっかり感化され、かなりいろいろ集めて聴きまして、いまやすっかりファンになっています。
チェリビダッケと言えば、「テンポが遅い」と言われますが、それは晩年の時期のこと。独グラモフォンから出ているもう少し若い頃の録音など、常識的なテンポとなっています。
しかし、晩年の録音も遅いと言えば確かに遅いのですが、曲や楽章によって異なることで、あまり一様にとらえてはいけないと思います。その充実した響きとはっきりしたアーティキュレーションは、「早い」「遅い」を忘れさせてくれるものでしょう。
チェリビダッケの晩年のミュンヘン・フィルとの正規盤は2種類の大部のセット(33枚組と14枚組、それぞれボーナスCD1枚付属)で手に入るのですが、さすがにいきなりそれを買うのは、躊躇される方も多いでしょう。そこで単売されているものから、幾らかご紹介すると。。。
ブルックナー:交響曲第8番
は、チェリビダッケがもっとも敬愛した作曲家ブルックナーの作品中、もっとも高く評価した曲。シリアスにその真価を問うならば、やはりこれがお薦めです。圧倒される美しくも壮大な響き。これほど荘厳でも、鈍重さがないのがチェリビダッケらしいところかなと思います。
「もうちょっと軽い曲で!」という場合、得意としていたロシアものフランスものの楽曲では如何でしょうか?
ムソルグスキーの《展覧会の絵》(ラヴェルによる管弦楽編曲版)とラヴェルの《ボレロ》を収めた一枚。《展覧会の絵》など何度も聴いた曲ながら、ゆっくりと一曲一曲、ときに美しく、ときにおどろおどろしく描いた後に、これほど胸にせまったことがあろうかというほどのラスト!
同じくありきたりの曲がこんなにも!で続けると、チャイコフスキーの交響曲第4番&《くるみ割り人形》組曲なども大変素晴らしい例です。
《くるみ割り人形》組曲はクラシックを聴き始めるかたにも大変聴き易い曲。しかし、こればかりは、日頃「チャイコフスキーは、、、」とお考えの通の方にも御一聴頂きたいと思います。
花のワルツがこんなに甘く、切なく響いたことがあるかと思うほどの素晴らしい演奏。これには私もほんとうに感動致しました。
チェリビダッケは、いわゆる通俗名曲に対して、通俗と聴こえるのは演奏が悪ければ、聴く方も悪いのだ、、、という考えの持ち主でした。
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多分、これらを聴いてどれかが好きになったら、チェリビダッケの指揮ならなにを聴いても面白い!と感じるのではないでしょうか。
ぜひ、弊ブログのTop頁の検索機能を使って、いろいろ探してみてください!
シューマンも、ブラームスなども他には類のない音楽となっていると考えて居ります。
では!