前回、永井荷風の『ふらんす物語』について書いたのが2007年の6月ですから、一年とは言わずとも大分間が空いてしまいました。ひとえに私の怠慢故、お詫び申し上げます。
『ふらんす物語』の『附録』の長さ・内容の充実をご覧になれば、いかに欧米滞在中の荷風が音楽に熱中したのかが判るとし、最近の音楽家として紹介されている二人の作曲家の一人 R.シュトラウスについて、名盤・推薦盤を簡単にご紹介したのが前回の記事。その末尾に記した通り、今回は『附録』で触れられているフランスの音楽家について取り上げたいと思います。
ドイツでR.シュトラウスに対して、荷風がフランスの最新モードとして紹介するのがドビュッシー(1862-1918)。荷風の欧州滞在は1907-08年のことですから、ドビュッシーが最晩年に入る頃となりましょうか。管弦楽曲ならば交響詩《海》の作曲を終え、ピアノ曲で言うと《映像》第2集を完成した頃のことです。
大まかに言うと、R.シュトラウスはドイツ・オーストリアでワーグナーを継承し、ドビュッシーはフランスで席巻する過度のワーグナー主義に対するアンチテーゼという紹介。
ストラウスの音楽はワグナー以後のLeit-motiv(主動の曲節)を基礎として、その形式の誇大、組織の複雑なる、作家の強い意力の人を圧迫する等、その印象は著しく暗鬱、深刻であるが、ドビュッシーに至ると、今述べたような、趣味、調和、鮮明を見る外に、聴者は音楽が現わす色彩の美に酔い、捕えんとするも捕え難き夢幻の瞑想に誘い入れらるる。マラルメの詩の、秩序を以て配列された言語が、いい現す代わりに暗示する味と、配列それ自身の間に、驚くべき色と線との美を含んだ趣がある。
上の引用にもマラルメが出て来ますが、荷風は文学における象徴主義、また、絵画に置ける印象主義との影響・関連を捉えながら、ベルリオーズ(1803-1869)という例外が居たものの、ラモー(1683-1764)以来のフランス独自の作曲家こそドビュッシーなのだとしています。
こういう事情をどこで知ったのかちょっと興味深いところです。音楽評論家ロマン・ロランの名前は文中に見られます。それ以外にも、ドビュッシーの書いたエッセイなども読んでいたのでしょうか?
荷風は、歌劇《ペレアスとメリザンド》、管弦楽曲《牧神の午後への前奏曲》、《夜想曲》、そして、交響詩《海》と筆を進めて行きますが、綴る文章には曲を体感した驚きと賛嘆が素直に現れています。例えば、《海》を描写した一文。
この麗しい海上の明け行く暁の段には従来のオーケストルには見馴れない木琴ようの種々な新しい楽器が交わって、何ともいえぬ複雑な色彩の混和と変化を見せ、第二段第三段に至っては、熱い日光が、漂う波の上に輝くさま、または透通る水底に海草の動きも窺われ、夕の風と共に、満潮の波が、岩の間々に深い静な響を立てると、沈み行く夕陽の光が、赤く乾いた岩や、白く熱した砂の上に落ちている貝殻の一ツ一ツに反射するのかと思うほど、一幅の画面のが鮮やかに心の中に浮かんで来るのである。
《海》の旋律が思い出されるような文章です。
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さて、歌劇《ペレアスとメリザンド》の名盤も数多くありますが、近年私が気に入っているものを一点ご紹介したいと思います。指揮者ロジェ・デゾルミエールによる1941年の録音。
デゾルミエールのことをスヴャトスラフ・リヒテルが手放しに賞賛をしていて、わたしもモンサンジョン著『リヒテル』の後半にあるピアニスト自らの短評集を通じてその名前を知りました。
録音の古さは、メリザンドの声がちょっと震えるくらいで鑑賞にはさして問題ないと思います。この曲ですから激しくはならないのですが、それでも緊張感と起伏のあるドラマを感じる演奏。《ペレアスとメリザンド》が苦手だった方もこれで聞き直すと良いやも知れません。
Debussy: Pelléas et Mélisande etc
R.Désormière(Cond.) / Orchestre Symphonique, I.Joachim, J.Jansen
M.Garden/C.Debussy(P), M.Teyte/A.Cortot(P)
・輸入盤
このCDには、コルトーの伴奏でマギー・テイトが歌う《ビリティスの歌》、《Fêtes galantes》他も収録され、また、全部で10分にもならない長さながら、ドビュッシー自身のピアノに初演でメリザンドを歌ったメアリー・ガーデンが歌う貴重な!録音も入っています。《ペレアスとメリザンド》第三幕の一部 Mes long cheveux descendentの一節とヴェルレーヌの詩に基づく《Ariettes oubiées》から三曲です。
《牧神の午後への前奏曲》その他の管弦楽曲に移りましょう。セットものであれば最近はかなり安価に多数の曲を聴くことができます。名演が多いものですが、私が比較的良く聴くマルティノンの8枚組セットをまず挙げたいと思います。EMIのBudget Boxの一つ。ラヴェルの主要管弦楽曲も質の高い演奏で収録されているのが魅力。
Debussy&Ravel : Orchestral Works(8ps)
J.Martinon(Cond.) / Orchestre National de l’Ortf, Orchestre de Paris
A.Ciccolini(P), I.Perlman(Vn)他
・輸入盤
ドビュッシーとラヴェルそれぞれ四枚ずつの構成です。
他にブレーズのセットなども著名。下に挙げるのはブレーズの古い方の録音で、伝統的なドビュッシーとは一線を画するものと評判になりました。
Debussyl : Orchestral Works(8ps)
P.Boulez(Cond.) / Cleveland Orchestra, New Philharmonia Orchestra
・輸入盤
最初に聴かれるなら、価格と曲数でお選びになっても良いかと思います。他にもセット・単売を問わずに挙げれば、アンセルメ、クリュイタンス、シャルル・ミュンシュ等々、最近の指揮者にも当然様々に録音がありますので、お探しの際はLook4Wieck.comの検索頁をお役だてください。
さて、『ふらんす物語』の『附録』の中で、荷風はこの後、ゲーテの《ファウスト》を基とした二つの劇作品としてグノーの歌劇《ファウスト》とベルリオーズの書いたオラトリオ形式の《ファウストの劫罰》を詳細に比較。当時は「このレコードを」とならないので、筋も細かに書いたのでしょうか?
次には欧州歌劇の現状として、ワーグナーを詳細に紹介し、再びR.シュトラウスとドビュッシーに至る流れを説明。欧米のオペラ劇場そのもの、オペラの成立史、オペラの種類等々にも筆は及び、作品名、歌手名なども織り交ぜながら書き綴り、文庫本で80頁ほどの長さに至って居ります。
すべての名録音を挙げると切りがなくなりますので、フランス作品に絞って、ごく簡単に!
まずはグノーの歌劇《ファウスト》。クリュイタンス指揮パリ・オペラ座盤が名高く私もCDならそれで聴いて居りましたが、オペラ案内の名著 本間公氏の『思いっきりオペラ』によると、下のプラッソン指揮の録音が素晴らしいとのこと。
私は未聴ですが、ご興味あれば!
Gounod: Faust
M.Plasson(Cond.) / Choeur et Orchestre du Capitole de Toulouse
Cheryl Studer, José van Dam, Richard Leech他
・輸入盤
「オペラは映像!」という方には、1970年のイタリア・オペラ来日公演のDVDで比較的安価手に入ります。私は生まれて居らず、当時の熱気は知らないのですが、この《ファウスト》に限らずイタリア・オペラ来日公演DVDのシリーズは実にドラマテックな好演が多いものと思います。
グノー:歌劇《ファウスト》
ポール・エテュアン指揮 / NHK交響楽団
レナータ・スコット, アルフレード・クラウス, ニコライ・ギャウロウ他
・国内盤
ベルリオーズについては、往年の名指揮者ミュンシュの録音が近年安価なセットものでRCAからリリース。《ファウストの劫罰》も勿論入っています。
ボストン交響楽団を率いていた時代のもので、幻想交響曲は、有名なパリ管との録音に比して、ちょっと音の出が固いかな・・・と思うものの、他の曲についてはミュンシュらしい色彩と闊達とした表現を楽しんで居ります。
独奏ヴィオラの活躍する《イタリアのハロルド》も実に劇的な名演ではないでしょうか!?独奏ヴィオラはウィリアム・プリムローズが担当。
Munch Conducts Berlioz(10ps)
C.Munch(Cond.) / Boston Symphony Orchestra
Victoria de los Angeles(Soprano), W.Primrose(Va)他
・輸入盤
《ロミオとジュリエット》、歌劇《トロイア人》、《レクイエム》、序曲《海賊》その他も収録した10枚組で、ベルリオーズのみならず、ミュンシュについて知りたいという方にも入門編としてお薦めしやすいものです。
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最後に今一度、我が国のクラシック音楽愛好家の大先人である永井荷風について!
この『ふらんす物語』に付せられた『附録』は、明治末期の日本の西洋音楽鑑賞を伝える歴史的資料としても面白いものですし、何よりそこに溢れた驚き・感動・熱意に大きく感心させられます。その文章を読むと、ワーグナー、ベルリオーズ、グノー、R.シュトラウス、ドビュッシー等々思わず、聴いてみたい、聴き直してみたいと感じる方も多いのでは?
未読でしたら是非『ふらんす物語』をお手にとられることを!クラシックのさまざまな音源を聴いている内に忘れてしまった自分の根源的なる感動を思い起こすやも知れません。
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